11. 出世稲荷

「お参りに行くなら、脇の坂道を少し上ったところに小さなお稲荷様があるから、そこもお参りするといいよ。あそこは出世稲荷だから。」
隣の家のおばちゃんが言った。
ここに引っ越してきて最初の正月を迎え、お寺に初もうでに行こうとしていたときだ。
その寺は、小山一つを境内にしており、初もうでのときには、全国でも1、2位を争うほどの多くの参詣客でにぎわう、有名な大きなお寺だ。
おばちゃんに言われたお稲荷様は、その広大な敷地の隅っこのほうにあるらしいが、無名のようで、全く聞いたこともなかった。
言われた通り、本殿の脇の坂道に行ってみた。
その坂道は、土がむき出しのままで、砂利すらも敷かれていなかった。
本殿の参道が、敷石の舗装や砂利などできれいに整備されているのとは対照的で、荒れ道と言う言葉が似合いそうな、間に合わせのような道だった。
ちょうど雨の日だったのだが、水はけが悪いのか、その坂道はぬかるみになっており、靴の中まで泥水でいっぱいになった。
来て失敗だったかなと思ったが、泥靴になってしまっては、もうどうでもよくなったので、そのまま坂道を進んでいくと、100mほど上った右側に、赤いのぼりが2本立っているのが目に入った。
そののぼりの間から、坂道の右手に石段があった。
自然石を乱雑に積み重ねて、まるで間に合わせに作ったような、ボロボロの石段が10数段続いていた。
数段上ったところに、木肌がむき出しの粗末な鳥居が1本立っていた。普通、鳥居は参道の入口にあたる石段の一番下のところにあるものだが、それはいかにも間に合わせという感じで立っていた。
石段を上りきったところに、これもまた木肌がむき出しの、飾り気のない祠が立っていた。
高さは大人の背丈ほどで、その真ん中に、2対の白いキツネの像が座っている。
祠のせり出しには、小さな鈴がつり下げられ、鈴の付け根からは、ねずみいろに薄汚れた粗末な綱が垂れ下がっていた。
足元には、小さな賽銭箱があった。
本殿やその周りは参詣客であふれ返っているというのに、このお稲荷様とその前の坂道には、私たち家族4人以外は誰もいない。
あまりにも寂しく、かわいそうなお稲荷様なので、お賽銭を上げて、鈴を鳴らし、お参りをした。
それ以来、毎年、初もうでのときには、せめて自分たちだけでもと、そのお稲荷様にもお参りをするようになった。

2年、3年、4年。
いつも、行くと、お参りしているのは、私たちだけだった。

通い始めて5年。
他にも2、3人の参拝者を見かけるようになり、祠の手前でお参りの順番を少しだけ待つようになった。

10年。
石段に数人が並ぶようになった。
この頃から、祠の両脇に、お供えを飾る段が据え付けられ、坂道の途中にお供えを売る屋台が現れた。
参拝者は、そこで油揚げとろうそくを買って、お稲荷様にお供えをする。

ある年。 通い始めてから10数年。
石段の途中に、周りの粗末さとは不釣り合いな、朱塗りの立派な鳥居が1本建てられた。
鳥居の柱には、寄進者の名前が記されていた。

その次の年。
石段の下まで、人が並ぶようになった。

20年。
鈴が2個に増え、その鈴を鳴らす綱も、きれいな新品のものにつり替えられた。
賽銭箱も一回り大きくなった。

30年。
坂道にも人が並ぶようになった。
坂道は、敷石で舗装され、雨の日でも靴が泥でよごれることはなくなった。
お供え売りの屋台も2軒に増え、坂道の途中と先には、数軒の出店も並ぶようになった。
鳥居も数本に増えた。

そのお稲荷様にお参りを始めてから、40年が経った。
祠は、高さ数mの立派な社に建て替えられ、社のせり出しには一抱えもある大きな鈴がつり下げられるようになった。
社の両脇に据え付けられたお供えの段には、たくさんの油揚げとろうそくが絶えることがない。
その社に続く石段も、御影石のピカピカな階段に作り替えられ、真鍮製の手すりも設けられた。
お稲荷様の入口、すなわち、石段の上り口からは、手すりとともに、朱塗りの鳥居がいくつも並び、数10本の赤いのぼりも立ち、ちょっとした神社並みのお参り場所になった。
坂道には行列ができ、その長さは優に100mを超え、坂道の下まで続いている。
今や、その稲荷は大出世した。

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投稿者: ひとき

ひときの短編集作者